スズメを見て考えたこと ― 2011/01/25
黒目川遊歩道を歩いていると、土手でスズメたちが餌をついばんでいました。手すりから身体を乗り出すと、スズメたちが飛び立ちました。しかし遠くにはいかず、近くの枝にとまってくれました。これはありがたい。さっそく写真を撮りました。何枚か撮ってから、体の向きを少し変えようと思ってファインダーから顔をはなしたとたん、スズメたちはいっせいに飛び立ってしまいました。体を動かさなければ、微妙なバランスのままスズメたちも動かずにいてくれたかもしれません。こういう経験は何回かあります。
岩波文庫から柳田国男の『野草雑記・野鳥雑記』という本が出たので、さっそく読んでみました。「スズメは一般に今いう小鳥の総称であったらしい」とはその一節。東京で「スズメカゴ」といえば「小さな鳥籠」のことで、能登や越中では「小鳥籠」を「スズメカゴ」といった、とあります。
シジュウカラは「四十雀」と、ゴジュウカラは「五十雀」と、ヤマガラは「山雀」と、コガラは「小雀」と、それぞれ書きます。柳田は、「クラ」という名詞が小鳥を総括した言葉らしい、といっています。「雀」を「ガラ」と読むことについて、「クラと原一つであると見て大抵誤りはあるまい」としています。
大田眞也著『スズメはなぜ人里が好きなのか』(弦書房)によれば、『古事記』や『日本書紀』にスズメは登場しているそうです。ところが『万葉集』にはでてきません。また、鳴き声の表記には変遷があって、平安時代は「シウシウ」、江戸時代は「チュウチュウ」と聞かれていたとか。「チュンチュン」と聞くようになったのは、大正時代以降といいます。
刺激を受けて岩波文庫の『日本唱歌集』を見てみたら、佐佐木信綱作詞・滝廉太郎作曲の「すずめ 雀」という歌が載っていました。ここでは「ちゅうちゅうちゅう」と鳴いています。明治34年の幼稚園唱歌だそうです。唱歌に対立する形で生まれたのが大正期の童謡運動でした。この時期につくられた「雀の学校」は「ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ」です。童謡のなかに「チュンチュン」と表現した歌があるかどうか、調べきれませんでした。戦後にできた「歌の町」では、「雀はちゅんちゅんちゅんちゅくちゅん」と鳴きます。
話が妙な展開になってしまいました。このへんにしておきましょう。
岩波文庫から柳田国男の『野草雑記・野鳥雑記』という本が出たので、さっそく読んでみました。「スズメは一般に今いう小鳥の総称であったらしい」とはその一節。東京で「スズメカゴ」といえば「小さな鳥籠」のことで、能登や越中では「小鳥籠」を「スズメカゴ」といった、とあります。
シジュウカラは「四十雀」と、ゴジュウカラは「五十雀」と、ヤマガラは「山雀」と、コガラは「小雀」と、それぞれ書きます。柳田は、「クラ」という名詞が小鳥を総括した言葉らしい、といっています。「雀」を「ガラ」と読むことについて、「クラと原一つであると見て大抵誤りはあるまい」としています。
大田眞也著『スズメはなぜ人里が好きなのか』(弦書房)によれば、『古事記』や『日本書紀』にスズメは登場しているそうです。ところが『万葉集』にはでてきません。また、鳴き声の表記には変遷があって、平安時代は「シウシウ」、江戸時代は「チュウチュウ」と聞かれていたとか。「チュンチュン」と聞くようになったのは、大正時代以降といいます。
刺激を受けて岩波文庫の『日本唱歌集』を見てみたら、佐佐木信綱作詞・滝廉太郎作曲の「すずめ 雀」という歌が載っていました。ここでは「ちゅうちゅうちゅう」と鳴いています。明治34年の幼稚園唱歌だそうです。唱歌に対立する形で生まれたのが大正期の童謡運動でした。この時期につくられた「雀の学校」は「ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ」です。童謡のなかに「チュンチュン」と表現した歌があるかどうか、調べきれませんでした。戦後にできた「歌の町」では、「雀はちゅんちゅんちゅんちゅくちゅん」と鳴きます。
話が妙な展開になってしまいました。このへんにしておきましょう。
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