カタツムリ ― 2010/10/01
雨に濡れたコスモス ― 2010/10/01
赤とんぼ ― 2010/10/01
川岸の枯れた枝に赤とんぼがとまっていました。たまに飛び上がっては、またもとに戻るを繰り返していました。はねが光ったところで写真を撮りました。とまる寸前を撮りたかったのですが、うまくいきませんでした。
「赤とんぼ」といえば三木露風作詞の歌(唱歌だったと思う)ですよね。詞の意味が難しくて、子どものころは意味がわかりませんでした。
「おわれて見たのは…」を「追われて見たのは…」と思っていました。しかし、それだと意味がとれません。追いかけられた赤とんぼが何かを見たことになってしまいます。そんなはずはない、と子ども心に思ってはみるものの、自分が追いかけられて赤とんぼを見る状況が想像できません。
本当は「負われて見たのは…」なんですね。おぶわれて見たのが赤とんぼだった。幼いころの記憶だと思います。
「十五でねえやは嫁にゆき、おさとの便りもたえはてた」も、よくわかりませんでした。姉さんが嫁にゆくことと、便りが絶え果てたこととがつながりませんでした。「ねえや」は「姐や」のことで、自分の子守りをしてくれた娘さんのようです。姉ではない。その娘さんが嫁にいって便りが絶え果てたのは、三木露風の生い立ちにかかわるようです。
「赤とんぼ」といえば三木露風作詞の歌(唱歌だったと思う)ですよね。詞の意味が難しくて、子どものころは意味がわかりませんでした。
「おわれて見たのは…」を「追われて見たのは…」と思っていました。しかし、それだと意味がとれません。追いかけられた赤とんぼが何かを見たことになってしまいます。そんなはずはない、と子ども心に思ってはみるものの、自分が追いかけられて赤とんぼを見る状況が想像できません。
本当は「負われて見たのは…」なんですね。おぶわれて見たのが赤とんぼだった。幼いころの記憶だと思います。
「十五でねえやは嫁にゆき、おさとの便りもたえはてた」も、よくわかりませんでした。姉さんが嫁にゆくことと、便りが絶え果てたこととがつながりませんでした。「ねえや」は「姐や」のことで、自分の子守りをしてくれた娘さんのようです。姉ではない。その娘さんが嫁にいって便りが絶え果てたのは、三木露風の生い立ちにかかわるようです。
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