鈴懸(すずかけ)の木 ― 2014/02/11
雪が降る前に撮った写真です。
自宅から15分ほどのところにある清瀬市の雑木林を歩いていると、青空を背景に白い巨木があらわれました。茶色い木ばかりのところに眩いばかり。広角レンズを取り出して写真を撮ってしまいました。
近づいてみると「モミジバスズカケ」と書いてあります。これが鈴懸の木なんだ。思わず口ずさんでしまったのが、「友と語らん鈴懸の径(みち)。通いなれたる学校(まなびや)の街…」でした。灰田勝彦が歌った「鈴懸の径」です。1942年(昭和17年)、戦時中に発表された歌です。もちろん私は生まれておりません!
鈴懸の木は、春に花を咲かせ、秋に果実がなります。その果実が楽器の鈴に似ていることからこの和名がついた、とされています。モミジバスズカケというのは、プラタナスとも呼ばれることも、今回知りました。
今年は花と果実の写真を撮ろうと思います。
自宅から15分ほどのところにある清瀬市の雑木林を歩いていると、青空を背景に白い巨木があらわれました。茶色い木ばかりのところに眩いばかり。広角レンズを取り出して写真を撮ってしまいました。
近づいてみると「モミジバスズカケ」と書いてあります。これが鈴懸の木なんだ。思わず口ずさんでしまったのが、「友と語らん鈴懸の径(みち)。通いなれたる学校(まなびや)の街…」でした。灰田勝彦が歌った「鈴懸の径」です。1942年(昭和17年)、戦時中に発表された歌です。もちろん私は生まれておりません!
鈴懸の木は、春に花を咲かせ、秋に果実がなります。その果実が楽器の鈴に似ていることからこの和名がついた、とされています。モミジバスズカケというのは、プラタナスとも呼ばれることも、今回知りました。
今年は花と果実の写真を撮ろうと思います。
コメント
_ ももごろう ― 2014/02/13 00:00
_ ももごろう様 ― 2014/02/13 00:27
こんばんは。
「鈴懸の木」というのは、いい名前だと思います。
ロマンチックですよね。
「ポプラの木の下でデートした」というより、
「鈴懸の木の下でデートした」という方が、はるかにいいですよね。
日本語が貧相になるというのは私も感じていて、
言語のあり方としていいことではないと思っています。
カタカタ語の氾濫で、世代間の言語格差も生まれていますし。
明治時代、外来語を日本語につくりかえる努力がさまざまにされ、
それが近現代の文化をつくってきたことを思えば、
その努力を発展させる必要があるのでしょうね。
一部に復古調の考え方もあるようですが、
新しい概念もたくさん生まれているので、
昔に戻ればいいというわけではないでしょう。
新しい努力が必要なんでしょうね。
そういう芽がないかといえば、たぶんあるだろうと思います。
「鈴懸の木」というのは、いい名前だと思います。
ロマンチックですよね。
「ポプラの木の下でデートした」というより、
「鈴懸の木の下でデートした」という方が、はるかにいいですよね。
日本語が貧相になるというのは私も感じていて、
言語のあり方としていいことではないと思っています。
カタカタ語の氾濫で、世代間の言語格差も生まれていますし。
明治時代、外来語を日本語につくりかえる努力がさまざまにされ、
それが近現代の文化をつくってきたことを思えば、
その努力を発展させる必要があるのでしょうね。
一部に復古調の考え方もあるようですが、
新しい概念もたくさん生まれているので、
昔に戻ればいいというわけではないでしょう。
新しい努力が必要なんでしょうね。
そういう芽がないかといえば、たぶんあるだろうと思います。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://kurome.asablo.jp/blog/2014/02/08/7215514/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
ところが最近は、ハリウッドものなどはタイトルを訳さず英語のまんまということが多い。どんどん頭を使わなくなっているので、日本語の言語資源がどんどん乏しくなることを危惧する声が上がっています。
前置きが長くなりましたが、鈴懸の木ってとても素敵な名前だと思いませんか?